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福岡地方裁判所 昭和45年(ワ)1520号 判決

原告 長尾スマ子

〈ほか五名〉

右六名訴訟代理人弁護士 荒木新一

同 荒木邦一

被告 平緒繁明

被告 朝日火災海上保険株式会社

右代表者代表取締役 竹村幸一郎

右両名訴訟代理人弁護士 中園勝人

主文

被告らは各自、原告長尾スマ子に対し金二四四万五、七一八円、同學禧および同篤子に対し各金二〇〇万円、同学之に対し金二三〇万円、同為彦および同ウメノに対し各二〇万円ならびに右各金員に対する本判決確定の日の翌日以降完済に至るまで金五分の割合による金員を支払え。

原告スマ子のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は被告らの負担とする。

この判決は原告の勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

但し、被告らにおいて各自、原告スマ子に対し金一二〇万円、同學禧および同篤子に対し各金一〇〇万円、同学之に対し金一一〇万円、同為彦および同ウメノに対し各金一〇万円の各担保を供するときは右各仮執行を免れることができる。

事実

第一、当事者の求める裁判

一、請求の趣旨

被告らは各自、原告スマ子に対し金三三〇万円、同學禧および同篤子に対し各金二〇〇万円、同学之に対し金二三〇万円、同為彦および同ウメノに対し各金二〇万円ならびに右各金員に対する本件判決確定の日の翌日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告らの負担とする。

仮執行の宣言。

二、請求の趣旨に対する被告らの答弁

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

第二、当事者の主張

一、請求原因

1  (事故の発生)

訴外亡長尾友春(以下たんに亡友春という。)は次の交通事故によって死亡した。

(一) 発生日時 昭和四四年八月一二日午後一時一〇分頃

(二) 発生地  福岡県鞍手郡若宮町大字小春一、三〇五番地先路上

(三) 事故車  軽四輪乗用車(八北九州う七、六二二号)

運転者  被告 平緒

(四) 態様   福間方面から福丸方面へ向って進行してきた前記(三)の自動車が福丸方面から対向してきた訴外正岡敏夫運転の普通貨物自動車に衝突した。

(五) 前記(三)の自動車に同乗していた亡友春は、翌一三日午後二時二〇分頃、同郡宮田町大字長井鶴六八二番地安倍医院において、本件事故により負った頭部割創、頭蓋骨陥没骨折等のため死亡した。

2  (責任原因)

(一) 被告平緒は、前記日時、場所において、福間方面から福丸方面に向って時速約六〇粁で進行していたものであるが、同所付近は右カーブの道路になっているから、常に前方を注視し、的確なハンドル等の操作をし、もって事故の発生を末然に防止すべき注意義務があるのにこれを怠り、漫然燃料計に気をとられて前方を注視しないまま進行したため、右カーブの左側のガードレールに衝突の危険を感じ、あわてて急にハンドルを右に切りすぎ、自車を右斜前に進行せしめ、対向してくる前記正岡運転の自動車を約一九・四米の近距離に至ってはじめて発見したが対向車との衝突を避けることができず本件事故を惹起したものである。故に被告平緒には不法行為責任がある。

(二) 被告会社は、被告平緒との間に、本件事故発生時を保険期間内とし、保険金額を一、〇〇〇万円とする自動車対人賠償責任保険(任意保険)契約を締結していたので被告平緒が原告らに対し右責任を負担することによって受ける損害を右保険金額の範囲内で填補すべき義務がある。そこで原告らは、民法第四二三条により被告平緒に対する前項の損害賠償請求権を保全するため、同被告の被告会社に対する右保険金請求権を代位行使する。

3  (損害)

(一) 亡友春の逸失利益二、七八四万一、八〇二円

(1) 死亡当時の職業 福岡県技術吏員(福岡県立農業試験場所属)

(2) 同給与 福岡県職員の給与に関する条例所定の行政職給料表の三等級一一号給。

なお、調整手当につき福岡県職員の給料の調整額に関する条例を暫定手当につき福岡県の職員の暫定手当の月額に関する規則を各適用。

(3) 同年令 満四七年

(4) 就労可能年数 一六年

(5) 一般の慣例による退職時期 昭和五九年三月三一日(死亡時より一四年六月)

(6) 退職手当算定の基礎 (福岡県職員の退職手当に関する条例

算定の方法、内訳等については別紙記載のとおり。

(二) 原告スマ子の損害

(1) 葬儀費用 三〇万円

(2) 慰藉料 一〇〇万円

原告スマ子は同友春と婚姻後二三年に余亘り同人と共同して営々と家庭を築きあげてきたのに一瞬にしてその支柱を失った悲嘆は筆舌に尽くし難い。

(三) 原告學禧、同篤子、同学之の慰藉料

學禧三〇万円、篤子六〇万円、学之九〇万円

右三名はいずれも同友春の子であり、これと同居し同人に撫育せられつつ生長してきたのであるが、いまだ独立に至らぬ間に父を失った苦痛はたとえようもないところ、學禧、篤子がいずれもすでに成年に達し、そのうち學禧は自立するに至り、学之がいまだ一三年にすぎぬ幼年であること等を勘案するとき、右各人の慰藉料は前記各金額が相当である。

(四) 原告為彦、同ウメノの慰藉料 各五〇万円

右両名は亡友春の父母としてその幼時哺育、監護に努め、これが長じて後も同人と同居して自らの老後を託してきたのに同人に倒れられた心細さは耐え難いものがある。そこで右両名の慰藉料は前記各金額が相当である。

(五) 原告スマ子は亡友春の妻、同學禧、篤子、同学之はそれぞれ亡友春の子として、その相続分に応じ亡友春の遺産を相続した。そこで各人の損害額は次のとおりとなる。

(1) スマ子 一、〇五八万〇、六〇一円

(27841802×1/3)+1300000=10580601

(2) 學禧    六四八万七、〇六七円

(27841802×2/9)+300000=6487067

(3) 篤子    六七八万七、〇六七円

(27841802×2/9)+600000=6787067

(4) 学之    七〇八万七、〇六七円

(27841802×2/9)+900000=7087067

(5) 為彦、ウメノ     各五〇万円

4  (損害の填補)

原告らは自賠責保険金三〇四万五、二三二円を受領した。従って、これを右損害額に応じて各人の損害に充当すると各人の損害額は次のとおりとなる。

(一) 原告スマ子    九五七万一、八二〇円

(二) 同學禧      五八六万八、六八二円

(三) 同篤子      六一四万〇、〇五七円

(四) 同学之      六四一万一、四二七円

(五) 同為彦、同ウメノ 各四五万二、二九〇円

5  (弁護士費用)

原告らは本件訴訟を弁護士荒木新一、同荒木邦一に委任し、その手数料および謝金として計一六八万円を支払うことを約した。その原告らにおける負担分は、前記損害額によって按分すると、原告スマ子五五万六、〇〇〇円、同學禧三三万四、〇〇〇円、同篤子三五万四、〇〇〇円、同学之三七万二、〇〇〇円、同為彦および同ウメノ各三万二、〇〇〇円となる。

6  (結論)

よって原告らの損害額は、各自につき、前記4の金額と5のそれとの合計額となるところ、原告らは、その一部につき次のとおり請求する。すなわち、原告らは被告ら各自に対し、原告スマ子に対し金三三〇万円、同學禧および同篤子に対し各金二〇〇万円、同学之に対し金二三〇万円同、為彦および同ウメノに対し各金二〇万円ならびに右各金員に対する本判決確定の日の翌日以降完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うよう求める。

二、請求原因に対する被告らの認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2以下の事実については、被告会社と被告平緒との間に原告ら主張の保険契約が締結されていたこと、原告らと亡友春との身分関係が原告ら主張のとおりであることおよび原告らが自賠責保険金三〇四万五、二三二円を受領したことは認めるが、その余の事実はすべて争う。

三、被告らの主張

1  被告両名

(一) 本件事故に基づく損害賠償については国家賠償法が適用されるべきであって、被告平緒には直接の責任は問いえないものである。

すなわち、本件事故は、被告平緒が福岡県職員で同被告の上司である亡友春の公務出張命令に基づき、かつ、その指示により自己の車を運転して亡友春を出張先である二日市試験場まで同乗させ、さらに、亡友春自身の公務のため福岡県庁まで同乗させ、その帰途において発生したものである。従って、被告平緒の運転行為は、とくに亡友春との関係においては、亡友春の公法上の命令の執行そのものであるからその関係において生じた損害については国家賠償法の規定に基づき県のみが賠償責任を負うべきものである。

(二) 本件については「危険の承認」または「免責の特約」の法理により免責あるいは少なくとも賠償額の軽減がなされるべきである。

すなわち、被告平緒は本件事故当時福岡県立農業試験場に農業手として勤務し、亡友春は同所に技術吏員として勤務していたところ同人は同所の責任者で主任の地位にあった。そうして、本件事故は公務出張中のものであるが、右出張に際しては県の乗用車が出払っていたため亡友春が、被告平緒に対して同被告所有の本件事故車を運転することを命じ、亡友春がこれに同乗して出発したのである。

以上のように、被告平緒としては、上司たる亡友春の命令を拒否することは事実上不可能だったのであり、かつ、亡友春としても、自らの所用のために、その義務のない者に対して何らの対価を与えずに、常にある程度の危険を伴う車の運転を命じた以上、その運行中に発生するかもしれない事故の危険性については当然に承認済みで、事故に関しての請求の意思もまたなかったものとすべきものである。

(三) 原告らが受領する遺族補償年金六〇万一、四八四円(一年につき)は地方公務員災害補償法に基づくもので事故による損害の填補の意味をもつものであるから、これを現在価値にひき直した金九二〇万一、五〇二円を原告らの損害より控除すべきである。

しかも本件事故は被告平緒が勤務中に起した事故であるので、その使用者たる県は国家賠償法ないし民法第七一五条により亡友春の損害を直接賠償すべき立場にあるから右年金はその業務履行としての意味さえ有するのであり、従って、右金額を控除するのは当然である。

2  被告会社

原告らの被告会社に対する直接の請求は失当である。

すなわち、被告会社は被告平緒との間に対人賠償保険契約を締結したのであるから、被告平緒に対し同被告が保険契約において予定する損害賠償義務を履行したことによる損害を補填すべき契約上の義務を負担することはあるけれども、第三者たる原告らに対して直接損害を補填すべき義務は存しないし、民法第四二三条の代位請求の形をとった場合も同様である(名古屋地判昭和四五年一月三〇日交通下民集三巻一号一四〇頁等参照)。

さらに、原告らは被告平緒に対しては賠償金の請求および受領の意思がないのに、たまたま対人保険が付せられていることを奇貨として保険金の請求をしているにすぎないものであるから、この点からも原告らの被告会社に対する請求は失当である。

四、被告らの主張に対する原告らの反論

1  右1(一)について。

被告平緒の本件自動車運転行為は公務本体ではなく公務付随行為にすぎないから、国家賠償法にいう「職務」に該らない。

2  同1(二)について。

運転者が他人の依頼によって好意をもって同乗させたとしても運転者として安全に輸送すべき義務には変わりがなく、また、亡友春が当然事故発生の危険が予測できる異常な車、道路、運転者の状態を知悉し、その事故発生の危険性を容認してたって依頼同乗した場合ででもなければ過失相殺をなすのは相当でないところ、そのような事情は全くない。従って好意同乗の事実は、せいぜい原告らの慰藉料額の算定にあたって斟酌すれば足りるところ、原告らはすでに右事情を斟酌して慰藉料額を極力低目に見積って請求しているから、被告らの主張は理由がない。

3  同1(三)について。

この種の年金を受ける権利は受給資格者の身分上の変更によって消滅し、あるいはその家族構成の変動によって大きく変化するから、たとえ当初の受給額が確定し当面の受給権者の余命が算出されたとしても、それのみをもって将来の支給額を積算確定することは原理的に不可能である。

またこの種の社会保険給付額の損益相殺を行なう理論的根拠は労働基準法第八四条第二項の規定による二重填補禁止の原則であるが、右法条の規定するところは、「補償を行なった場合においては、同一の事由については」その価額の限度で損害賠償責任を免れるというものであるから、免責の範囲は既給付部分に限られるのが当然である。

4  同2について

被害者から加害者に代位してなされた任意保険契約に基づく保険金請求の訴は、賠償額の確定がいまだなされていないとしても加害者に対する損害賠償請求の訴と併合して審理される限り適法であるとしてすでに解決済みである。

また、原告らは被告平緒に対し任意保険金をもって填補不能な金員まで請求するつもりはないけれども、保険填補可能な限りではもちろん請求の意思を有するのである。

第三、証拠≪省略≫

理由

一、事故の発生

請求原因1の事実(事故の発生)については当事者間に争いがない。

二、責任原因

1  ≪証拠省略≫を総合すると、被告平緒は昭和四四年八月一二日午後一時一〇分頃本件事故車を運転して本件事故現場付近を福間方面から福丸方面に向かって時速約六〇粁で進行していたこと、同所付近は道路が被告平緒の進行方向に向かって右カーブとなっていること、被告平緒は同所付近にさしかかった時、ガソリンの残量を確かめるべく二、三秒間燃料計に目を移し、顔を上げたところ、道路左側のガードレールを目前に感じたため突嵯にハンドルを右に切り道路中央線をこえた地点で折柄対向してくる正岡敏夫運転の普通貨物自動車(福岡四う四、八二三号)を約一九、四米先に発見したが何らの措置も講ずる余裕がなく右車と正面衝突したことが、それぞれ認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

右事実によると、被告平緒は、右現場付近が自己の進路方向に向かって右にカーブしているのであるから、たえず進路前方を注視し道路の状況に応じた的確なハンドル操作をしつつ運転し、もって事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるのに、漫然燃料計に気をとられ、前方を注視しないまま進行した過失により、右カーブの左側ガードレールに衝突の危険を感じ、あわててハンドルを右に切りすぎ自車を右斜前に進行せしめて、本件事故を発生せしめたものというべきであるから民法第七〇九条により原告らが本件事故により蒙った損害を賠償する義務がある。

2  被告らは、本件事故に関しては国家賠償法が適用されるべきであって、被告平緒には直接の責任は問いえないと主張するが、本件運転行為はその態様からみて権力作用には全く関係のないことがらであるから、本件事故は国家賠償法にいう「公権力の行使」に当る公務員がその職務を行うについて他人に損害を加えたとき、には該当しないというべきである。

よって被告らの右主張は理由がない。

3  被告らは、本件については「危険の承認」または「免責の特約」の法理により免責されるべきだと主張する。

そこで考えるに、≪証拠省略≫を総合すると、

(一)  被告平緒は亡友春の推薦を得て福岡県立農業試験場に勤務するようになり(勤務地は亡友春と同じ鞍手鉱害試験地)、農業試験に関する補助をその職務内容としていた、また、住居が近くであるということもあって、亡友春は通勤には被告平緒の車に同乗させてもらっており、農繁期には被告平緒が亡友春方に農業の手伝に行くという親密な間柄であったこと、

(二)  本件事故当日、亡友春はその前日に稲築鉱害対策肥料試験田から採取していた土壌(約五〇〇グラム入りの封筒で十数個)を分折するため二日市農業試験場の松井技師に右土壌を届けるとともに分析の内容につき同人と打合せをする必要があり、また、福岡県庁において同県農業改良課井手肥料係長と水質関係調査についての打合せを行い、さらに同日午後二時半から勤務先の鞍手鉱害試験地近くの鞍手町農協会議室で行われる水稲の講習会開催計画打合せに出席する予定になっていた、そこで、亡友春は二日市農業試験場および県庁での仕事を終えて午後二時頃までには勤務地に戻る必要があったところ、同日は公用車が二台とも出払っていたので、前記試験地の長たる技術主査の資格で被告平緒に対し、二日市農業試験場に前記土壌を届けることを目的とする出張を命じ、そのため被告平緒に同被告所有の本件事故車を運転させ、自己もその助手席に同乗して右試験場に赴き、さらに県庁への運転を命じ、県庁からの帰途、被告平緒の過失により本件事故に遭遇したものであること

(三)  被告平緒は亡友春の右出張命令および自車の運転の命令に際し、前叙の諸事情および日頃から亡友春を自車に同乗させての出張が稀でなかったことから右の命令を拒絶しなかったこと

が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

以上の認定事実に徴すると、被告平緒が亡友春の命令を拒否することは、その場の状況からして事実上不可能であったというべく、また、その行先についても亡友春の指示どおりであったけれども、だからといって、右の事情の下で、―車の運行には常にある程度の危険が伴うとはいえ―亡友春が被告平緒の運転中に発生するかもしれない事故の危険性につき承認し、仮に事故が発生しても被告平緒に対し何ら損害賠償請求の意思がない旨の黙示の意思表示をなしていたとまでは認めるに足りない。

従って他に明示または黙示の免責の特約(その効力には自ら限界が存するであろうが。)でも認められるならば格別、そのような特段の事情のない本件では免責を認めうる余地はない。

4  次に被告会社に対する代位請求の点についてみるに、被告会社と被告平緒との間に本件事故発生時を保険期間内とし、保険金額を一、〇〇〇万円とする自動車対人賠償責任保険契約が締結されていたことは当事者間に争いがない。

ところで、被告会社は本件保険金請求権の代位行使が許されない旨主張するが、保険者の債務は、被保険者が被害者に対し負担する損害賠償額を被保険者に填補すべき債務であることはいうまでもなく、加害者と被害者との間で損害額の確定していることが保険金請求の要件をなすものと解すべきであるけれども、本件のように被保険者たる加害者に対する請求が併合されて審理判決がなされる場合にあっては、右要件に欠けることはないと解するのが相当である。

他に本件保険金請求権の代位行使を否定すべき理由は認められないから被告会社の右主張は理由がない。

以上によれば、被告両名は原告らが本件事故により蒙った損害を賠償する責任がある。

三、損害

1  亡友春の逸失利益 二、一六四万八、九一一円

≪証拠省略≫によると、亡友春は死亡当時四七年の福岡県技術吏員で福岡県職員の給与に関する条例所定の行政職給料表の三等級一一号給を受けていたこと、福岡県職員(研究職)の場合定年は存せず、一応五八年位でいわゆる肩たたきがあるけれども、六四、五年で現に勤務している者もあることが認められるところ、亡友春の就労可能年数は六三年までの一六年間とみられるから、原告ら主張の昭和五九年三月末日までは福岡県職員として勤務しえたと考えられる。

(一)  (逸失給与)

そこで、≪証拠省略≫を総合し、福岡県職員の給与に関する条例、同条例等の施行に関する規則等の諸法令に照らすと亡友春の逸失給与は次のとおりとなる。

(1) 昭和44年8月14日以降同年12月31日までの分

かっこ内の前の数字が勤務期間、後の数字が賞与算出のために乗ずる期間(いずれも月)を示す。以下同じ。

(2) 同45年1月1日以降同年9月30日までの分

101155×(9+1.9)=1102590

(3) 同年10月1日以降同年12月31日までの分

118672×(3+2.6)=664563

(4) 同46年1月1日以降同年9月30日までの分

118672×(9+1.9)=1293525

(5) 同年10月1日以降同年12月31日までの分

135136×(3+2.6)=756762

(6) 同47年1月1日以降同年6月30日までの分

135136×(6+1.9)=1067574

(7) 同年7月1日以降同年12月31日までの分

141128×(6+2.6)=1213701

(8) 同48年1月1日以降同年3月31日までの分

141128×(3+0.5)=493948

(9) 同年4月1日以降同年9月30日までの分

146848×(6+1.4)=1086675

(10) 同年10月1日以降同年12月31日までの分

152568×(3+2.6)=854381

(11) 同49年1月1日以降同年6月30日までの分

152568×(6+1.9)=1205287

(12) 同年7月1日以降同年12月31日までの分

154752×(6+2.6)=1330867

(13) 同50年1月1日以降同年6月30日までの分

157352×(6+1.9)=1243081

(14) 同年7月1日以降同年12月31日までの分

159952×(6+2.6)=1375587

(15) 同51年1月1日以降同年6月30日までの分

162552×(6+1.9)=1284161

(16) 同年7月1日以降同年12月31日までの分

165152×(6+2.6)=1420307

(17) 同52年1月1日以降同年6月30日までの分

167752×(6+1.9)=1325241

(18) 同年7月1日以降同年12月31日までの分

170352×(6+2.6)=1465027

(19) 同53年1月1日以降同年12月31日までの分

170352×(12+4.5)=2810808

(20) 同54年1月1日以降同年6月30日までの分

170352×(6+1.9)=1345781

(21) 同年7月1日以降同年12月31日までの分

172952×(6+2.6)=1487387

(22) 同55年1月1日以降同年12月31日までの分

172952×(12+4.5)=2853708

(23) 同56年1月1日以降同年6月30日までの分

172952×(6+1.9)=1366321

(24) 同年7月1日以降同年12月31日までの分

175552×(6+2.6)=1509747

(25) 同57年1月1日以降同年12月31日までの分

175552×(12+4.5)=2896608

(26) 同58年1月1日以降同年6月30日までの分

175552×(6+1.9)=1386861

(27) 同年7月1日以降同年12月31日までの分

178152×(6+2.6)=1532107

(28) 同59年1月1日以降同年3月31日までの分

178152×(3+0.5)=623532

ところで、右認定の亡友春の収入額に≪証拠省略≫を合わせ考えると、亡友春は死亡前、その生活費として少なくとも収入の三割を支出していたことが窺われ、同人の社会的地位、年令に照らすと、爾後も右同様収入の三割程度は生活費としての支出は免れないものと認められるから前記収入額よりその三割を減ずる。

そこで、口頭弁論終結時(昭和四七年九月二六日)現在の現価をライプニッツ係数を用いて求めると次のとおりとなる(但し、便宜上、年単位で計算する。)。

(1) 昭和44年8月14日以降同47年12月31日までの分

(629279+1102590+664563+1293525+756762+1067574+1213701)×0.7=4709596

(2) 同48年分(同年1月1日以降同年12月31日までの分。以下同様に表示する。)

(493948+1086675+854381)×0.7×0.9524=1623370

(3) 同49年分

(1205287+1330867)×0.7×0.9070=1610204

(4) 同50年分

(1243081+1375587)×0.7×0.8638=1583404

(5) 同51年分

(1284161+1420307)×0.7×0.8227=1557476

(6) 同52年分

(1325241+1465027)×0.7×0.7835=1530323

(7) 同53年分

2810808×0.7×0.7462=1468198

(8) 同54年分

(1345781+1487387)×0.7×0.7107=1409473

(9) 同55年分

2853708×0.7×0.6768=1351973

(10) 同56年分

(1366321+1509747)×0.7×0.6446=1297740

(11) 同57年分

2896608×0.7×0.6139=1244760

(12) 同58年分

(1386861+1532107)×0.7×0.5847=1194705

(13) 同59年1月1日以降同年3月31日までの分

623532×0.7×0.5568=243028

以上の合計 20824250

(二)  (逸失退職手当)

≪証拠省略≫によると、亡友春が本件事故に遭遇せず、通常退職する時期まで勤務して退職した場合取得すべき退職金の額は九一八万五、九六二円であることが認められる。

そうして、≪証拠省略≫によると、亡友春の現実の退職金としては四二九万〇、〇八三円が支給されたことが認められる。

そこで口頭弁論終結時現在の、将来得べかりし退職金の現価より現に受領した退職金の額を差引くと次の計算式により八二万四、六六一円になる。

9185962×0.5568-4290083=824661

(ライプニッツ係数)

(三)  (一)+(二)=二、一六四万八、九一一円

2  原告スマ子の損害

(一)  葬儀費用

全証拠によるも、原告スマ子が葬儀費用として三〇万円を支出したことを認めることはできないが、≪証拠省略≫によると、同原告が葬儀をとり行ったことが認められ、前記認定の亡友春の死亡時の社会的地位を考慮すれば、少なくとも二五万円の出費を要したものと推認される。

(二)  慰藉料

≪証拠省略≫によると、原告スマ子は昭和二二年二月一二日亡友春と婚姻し、その後二人の間に原告學禧、同篤子、同学之の三児をもうけ、ともどもその生長を楽しみにしていたところ、突然夫を失い、悲嘆に暮れていることが認められる。

右事実に徴すると、原告スマ子に対する慰藉料は一〇〇万円が相当と認める。

3  原告學禧、同篤子、同学之の慰藉料

右原告三名とも父を失った悲しみはたとえようもないことが容易に推認されるところ、≪証拠省略≫によると、原告學禧は昭和二二年四月一三日生れ、同篤子は昭和二四年一〇月七日生れ、同学之は昭和三一年一月一日生れであるところ學禧は本件事故当時すでに公務員として自立していたが、篤子は当時未成年の学生であって現時点では卒業後無職の状態にあること、学之は当時中学生であり、現在も未だ高校生にすぎないことが認められるのであって、以上の事実に本件記録にあらわれた諸般の事情を合わせ考えると、右原告らに対する慰藉料は學禧三〇万円、篤子六〇万円、学之九〇万円が相当と認める。

4  原告為彦、同ウメノの慰藉料

≪証拠省略≫によると、右両名は亡友春の実父母でともに七〇年以上の高齢であり、為彦はもと農業を営んでいたが現在は中風のため働けない状態であり、ウメノは農業の手伝程度はできる状態であるところ、いずれも亡友春およびその家族(但し、學禧は本件事故当時は別居)と同居して亡友春を頼りに思って生きてきたものであることが認められ、亡友春に先立たれた心細さは察するに余りあるものがある。

よって右両名に対する慰藉料は各五〇万円が相当と認める。

5  各人の損害

原告スマ子が亡友春の妻、同學禧、同篤子、同学之が子であること自体は当事者間に争いがないところであるから、右原告らは亡友春の前記逸失利益をその相続分に応じて相続したこととなる。そこで各人の損害額は次のとおりとなる。

(一)  原告スマ子 八四六万六、三〇四円

(21648911×1/3)+1250000=8466304

(二)  同學禧   五一一万〇、八六九円

(21648911×2/9)+300000=5110869

(三)  同篤子   五四一万〇、八六九円

(21648911×2/9)+600000=5410869

(四)  同学之   五七一万〇、八六九円

(21648911×2/9)+900000=5710869

(五)  同為彦、同ウメノ   各五〇万円

四、賠償額の減額

被告らは、免責が認められないとしても賠償額の軽減がなさるべきであると主張するので考える。

すでに前記二3で述べたように、本件の場合において被告平緒としては、日頃亡友春との個人的な関係および亡友春が上司でしかも勤務地の最高責任者でもあることから、その出張命令で自己本来の職務内容と異なる本件運転行為を余儀なくされその際自己所有の自動車を公務に供することを拒むことは事実上不可能であったとみられるし、しかも亡友春は平緒車に同乗して行先を指示していたのであるから、右運転行為によって生じた本件事故に基く原告らの損害のすべてにつき被告平緒に賠償義務を負担させるのはいかにも酷で信義に反し条理にもとるものというべく、以上に認定した諸般の事情に照らすときは原告らに生じた損害の二分の一の限度でその賠償の義務を認めるのを相当とする。

よって各原告の損害額は次のとおりとなる。

(一)  原告スマ子    四二三万三、一五二円

(二)  同學禧      二五五万五、四三五円

(三)  同篤子      二七〇万五、四三五円

(四)  同学之      二八五万五、四三五円

(五)  同為彦、同ウメノ      各二五万円

五、損害の填補

原告らが自賠責保険金三〇四万五、二三二円を受領したことは原告らの自認するところであり、また、調査嘱託の結果によると、原告スマ子は本件口頭弁論終結時までに遺族補償年金一〇〇万四、二〇六円を受領したことが認められる。

被告らは、原告らが将来受領するであろう遺族補償年金も現価に引き直して本件損害額から控除すべきだと主張するけれども、民法上の損害賠償義務と地方公務員災害補償法上の遺族補償年金制度とは理念や要件を異にしていることからいっても、地方公務員災害補償法第五九条の規定の趣旨や被害者保護の精神からいっても、―既受領分については、二重填補の禁止の意味から控除するのが当然だが、―将来受領するであろう分についてまで加害者らが負担すべき損害賠償金から控除することは許されないというべきである。

そこで自賠責保険金三〇四万五、二三二円を損害額に応じて各原告の損害に、遺族補償年金一〇〇万四、二〇六円を原告スマ子の損害にそれぞれ充当すると各人の損害額は次のとおりとなる。

(一)  原告スマ子    二二二万五、七一八円

(二)  同學禧      一九四万九、八一五円

(三)  同篤子      二〇六万四、二六六円

(四)  同学之      二一七万八、七一七円

(五)  同為彦、同ウメノ 各一九万〇、七五二円

六、弁護士費用

≪証拠省略≫によると、原告らは本件訴訟代理人両名に手数料として六八万円、謝金として本件解決による受益額の一割を支払う旨約していることが認められるが、本件事案の内容、認容額等諸般の事情を総合検討すると、被告らに負担させるべき弁護士費用の額は各原告ごとに前記認容額の約一割、すなわち、原告スマ子につき二二万円、同學禧につき一九万五、〇〇〇円、同篤子につき二〇万五、〇〇〇円、同学之につき二二万円、同為彦および同ウメノにつき各二万円が相当と認める。

七、結論

よって原告らの損害額は、各自につき前記五の金額と六のそれとの合計額すなわち原告スマ子二四四万五、七一八円、同學禧二一四万四、八一五円、同篤子二二六万九、二六六円、同学之二三九万八、七一七円、同為彦および同ウメノ各二一万〇、七五二円となるところ、原告學禧および同篤子は二〇〇万円、同学之は二三〇万円、同為彦および同ウメノは各二〇万円をもって求める給付判決の上限としているから原告らの請求は、原告スマ子において二四四万五、七一八円、その余の原告において右の各請求額および右各金員に対する本件事故日の後である本判決確定の日の翌日以降完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める範囲で理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条第一項を、仮執行およびその免脱の各宣言につき同法第一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 中池利男 裁判官 松島茂敏 石井宏治)

〈以下省略〉

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